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広瀬 淡窓

掲載数 19点

広瀬淡窓は、
天明2年4月11日生まれで、安政3年11月1日没す。
江戸後期の儒学者、漢詩人、教育家。
近世最大の漢学私塾咸宜園の創設、経営者。
通称は寅之助、のちに求馬。名を簡、後に建。字は廉郷、のちに子基。
淡窓は号で、別に青渓・苓陽・遠思楼主人などの号も使用。
豊後国日田に、九州諸侯御用達商家博多屋の長男として出生するが、生涯多病に苦しむ。
幼年期は伯父月化に養育される。
6歳で実家に戻り、寛政9年筑前福岡の亀井塾に入門し、
亀井南冥・昭陽父子に師事するが、11年冬、病を得て帰郷し以後独学。
文化2年3月、日田の豆田町で開塾。
成章舎、桂林園を経て、14年3月、咸宜園を名のる。
此の塾は明治30年6月まで存続。
咸宜園教育の特徴は、「三奪の法」年齢学歴身分に関係なく優劣をつけ、入塾後の成績に委ね、
「月旦評」(日常の学習活動と月例試験での合計点による毎月末の成績評価、
これにより昇級などを行う)による徹底した実力主義で有名。
末弟に広瀬旭荘、その子に広瀬林外が居る。
       

       
   

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〈軸物〉


                         ・

絹本 125×30.7                        紙本 131.5×26.5     .

                            ・

絹本 124×25.5                          紙本 95×22.5     .

                         ・

紙本 123×48.8                              紙本 100×27.7   .

                     ・

紙本 130×53                             紙本 130×53  .

                         

絹本 123.5×40.5                               紙本 126.5×17.8(×2)

                            .

紙本 122.2×44                                   紙本 129.5×30

                       

紙本 120.2×42.4                                   紙本 125×45

                       

        紙本 130.8×32.2                       紙本 123×38.2 淡窓遺墨撰集所載 P46

紙本 28×42.5

肥前の詩 府内の詩 二ッ折り屏風 縦:172×横:184(cm)

紙本 縦:26.2×横:65.5(cm)




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