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広瀬 林外

掲載数 14点

広瀬林外は、
天保7 年に生まれ 明治7年5月14日没す。
幕末から明治初期の儒学者で、
名を孝、字は維孝、通称 孝之助、林外はその号。
豊後国日田に生まれる。
父は漢詩人で儒学者の広瀬旭荘、母は合原氏。
広瀬淡窓の甥にあたる林外は、
父旭荘が、日田代官 塩谷大四郎正義の怒りにふれて大坂に出た為、
伯父淡窓に養われ、咸宜園に学んだ。
同窓には長三洲や、田代潤卿等がいる。
林外は、詩文や史学に長じていた。
安政3年、淡窓の没後は青邨に代わって跡を継いだ。
維新後は洋学を学ぶため上京したが、修史館に奉職した。
著書の『林外日記』等には、幕末維新の情況が詳らかである。
若く亡くなった為、遺墨は父旭荘や伯父の淡窓に比べ少ない。 
                      

                      

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〈軸物〉


                    

紙本 109×30.3                 紙本 136.5×30.5                 絹本 124×40.5

                  

紙本 109×26.5                 紙本 110.3×29.8                 紙本 162.5×45.8

                        

  紙本 130×30.7                 紙本 140×31                 紙本 129×30.3   .

                   

   紙本 110×29.8                 紙本 140.5×31               ★紙本 111.5×30.4

                         

紙本 133×29                            ★紙本 137×30




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